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変な宗教……「自分教」。 [たとえ話]



若い頃は、ひとから

「あれ、やってくれない?」

とか

「これをやって欲しいんだけど」

と言われても、それが実は

(自分のことでもある!)

なんて、1パーセントも考えられませんでした。




依頼をしてくる友達が、ただ彼らの欲求を満たすためにこっ

ちを利用するんだ……と思っていました。




だから

(こっちだって、いつかはあいつを利用するかも知れないし)

という、ギブ・アンド・テイクの発想でしか引き受けてこなかっ

たと思います。




あるいはその頼みごとをしてきた友達が大好きなヤツだから

(まあ、しょうがないか)

と思って、それをやる。




ところが、それなりに親しい誰かが自分に何かを頼みに来

るとき、実はすでに相手がこちらをよく見ている(あるいは直

感的に何かをとらえている)ということが、きっとあります。




その誰かが露骨にこちらをダマそうとしたり、冗談でノセて

しまおうとしているのでない限り、自分が普段こちらから与

えているものを踏まえて、その頼みごとなり提案がやって

きます。




が、いつでも

(自分、自分、自分、自分……)

と思っていると、それが見えません。




まず自分という確固とした存在があって、その自分が誰に

も強制されず自分の意思でなにをやるか決め、そのために

たった一人で努力していく……(どうだ、文句あるか)という

「正しい人間の形」

みたいなものが、わたしの頭にはずっと刷り込まれてきた

と思います。




でもこれは、息苦しくて妙な宗教……「自分教」みたいなも

のかも知れません。



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        【インプラント、本当の話】


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