社会は自然とは違う。 [たとえ話]
現在五十代のわたしが、自分の学校での経験というものを、
ぼんやり振り返ってみると、とにかく
(競争の形)
だけは叩き込まれたんだろうな……という気がします。
で、それは何の役に立つだろうか、と考えますと
(とにかく人が競争して成り立つ社会)
にとって役に立つでしょう。
「何を言ってるんだ? おまえ自身が学校に通ったおかげ
で多少でも世の中に通用するようになったんじゃないか」
という風に、ここで考える方もいらっしゃると思います。
つまり世の中……世間……というものは、とにかく自然の
ようにそこにあって、一人一人はそれに合せるしかないの
だから、という前提で考えれば、たしかにそうでしょう。
でも、人間の世の中は、必ずしも
(そうなってしまう)
あるいは
(そうなってしまった)
という要素だけで出来上がってはいません。
たった一人の意思で動いてはいないにしても
(そういう社会にしている)
という要素が必ず存在するものです。
ある土地では、冬が寒いから
(寒さに備えた暮らしをするのは当然だ)
と言う、そのまったく同じ次元で
(人間は世の中に合せるのが当たり前だ)
とは言えないワケです。
【 ドラマというより、コントでしょうか。】