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社会は自然とは違う。 [たとえ話]



現在五十代のわたしが、自分の学校での経験というものを、

ぼんやり振り返ってみると、とにかく

(競争の形)

だけは叩き込まれたんだろうな……という気がします。




で、それは何の役に立つだろうか、と考えますと

とにかく人が競争して成り立つ社会

にとって役に立つでしょう。




「何を言ってるんだ? おまえ自身が学校に通ったおかげ

で多少でも世の中に通用するようになったんじゃないか」

という風に、ここで考える方もいらっしゃると思います。




つまり世の中……世間……というものは、とにかく自然の

ようにそこにあって、一人一人はそれに合せるしかないの

だから、という前提で考えれば、たしかにそうでしょう。




でも、人間の世の中は、必ずしも

(そうなってしまう)

あるいは

(そうなってしまった)

という要素だけで出来上がってはいません。




たった一人の意思で動いてはいないにしても

(そういう社会にしている)

という要素が必ず存在するものです。




ある土地では、冬が寒いから

(寒さに備えた暮らしをするのは当然だ)

と言う、そのまったく同じ次元で

(人間は世の中に合せるのが当たり前だ)

とは言えないワケです。



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     【 ドラマというより、コントでしょうか。】



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競争のシステムを学んだ? [たとえ話]


実は、勉強(学問)をしなくても、学校は成り立つんだ……

というのは、そのことを知ったとき、少なくとも私自身にとっ

ては驚きでした。




学校にどんなに反発しても、その一方で

勉強しないとバカになっちゃうし

といったことを、わたしは考えてきたように思います。




でも、この

(バカになる)

というのは、学校を出たあとに世の中で通用しないんだろう

という予感を子供なりに言葉にしたものです。




(勉強なんて、ホントに役に立つのかな……?)

と思いつつ、なぜか勉強が出来るということを大人の社会は

すごく歓迎するようだから、自分もいつか大人になる以上

(勉強しなくちゃいけないんだろうな)

と、嫌々認めてきたのです。




で、いざ自分が大人になってみると、案の定、勉強した個々

の知識なんてほとんど役に立たなかった。




ただ、その時代の競争のシステムについて重要な経験

を積んだ……ということだけは言えそうでした。





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