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サル山の嘘はバレても。 [たとえ話]


野生の状態ではピラミッド型社会を作らないニホンザルを

サル山に閉じ込めて、そこに現れたピラミッド型社会のふ

るまいを

(サルだって同じなんだ)

として、自分たちを納得させてきた日本人。




二つのことが言えるのではないかと思います。




ひとつは、わたしたちは自分たちが潜在的に見たいと思っ

ているものについては、それがどんなに怪しいものであっ

ても、表面の辻褄さえ合えば

(ほら、これが現実だ!)

と言って、ありありと目に見てしまう……ということ。




もうひとつは、競争競争で人々を追い立てて成果を出して

いこうとする社会は、かつてはいまよりもっと圧倒的な力を

(魅力も含めて)持っていたらしい……ということ。




むかしサル山について言われていた

(もっともらしいウソ)

は、いまではすっかり通用しなくなっています。




けれども、サル山以外のことでは、いまのわたしたちもやは

り、ほんとうは現実でないものを

(これが現実なんだ!)

と言って納得してしまっているに違いありません。



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ピラミッド型なんかじゃない。 [たとえ話]


おサルさんたちの世界も、厳しい競争が基本です……と

いったナレーションを聞きながら

(なるほどなあ……)

と思いつつニュース映像に見入っていた小学生のわたし。




ところが、野生のニホンザルの群れには、ボスを頂点にし

たピラミッド型の社会などは実は観察されない(!)という

ことが後に明らかになります。




サル山で見られるピラミッド型社会というのは、人工的な

環境に閉じ込められたときにだけニホンザルが見せる行

動のスタイルらしいのです。




野生の群れでは、ボスザルはいても必ずしもリーダー的に

ふるまわないし、彼らの日常の行動からも典型的なピラミ

ッド社会型の序列などはうかがえない。




すると、サル山にニホンザルを閉じ込めて観察している人

間というのは、いったい何をしていることになるのでしょう?




それは、人間が初めから

「自分たちの見たいもの」

を動物社会に勝手に投影して

(動物だってそうなんだから)

と自分たちに言い聞かせている……ということになるでしょう。



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     【ご質問にお答えして】



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生き物はみんな競争する? [たとえ話]


若大将シリーズと怪獣映画の抱き合わせ上映を観に行っ

て、小学生のわたしが今も記憶しているニュース映像。




それは、サル山でのボス争い……の話でした。




サル山では、その集団のトップに君臨するボスの居場所、

ナンバー2の居場所などが決まっていて序列のハッキリし

たタテ社会の構造が見える、というのです。




しかも、一度手に入れたボスの座も、ナンバー2もしくはナ

ンバー3からの挑戦を受けて、いつ奪い取られるか分から

ない。




だからサル山のボスも、常に自分のパワーを誇示したり、

メスザルたちからの人気(サル気?)を保つ努力をしたりと

決して傍目に映るほどラクじゃない……そういう意味のナ

レーションがサル山の映像に重なっていました。



(ああ、生き物はみんな競争するんだよなあ)

というような感想を持ちながら、そのニュース映画を観てい

た記憶がわたしにはあります。




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     【 鼻から牛乳が……。】



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サル山のはなし。 [たとえ話]


わたし(1950年代生まれ)の子供時代、今もご活躍の加

山雄三さんが

「若大将」

と呼ばれ、明るい青春ドラマ調の映画……若大将シリーズ

に出演されていました。




小学生だった頃のわたしの大きな楽しみの一つは

「モスラ対ゴジラ」

とか

「ゴジラ対キングギドラ」

といった怪獣映画を日曜日に友達と観に行くことで、それ

らの怪獣映画は若大将シリーズと抱き合わせの二本立て

で上映されていたものです。




(何でまた、昔話……それも怪獣映画?)

と思われるでしょうが、実は当時の映画館で本編の前に必

ず上映されていた、五分程度のニュース映画……そのひと

つで観た事柄についてお話したいんです。




それはおサルさんたちを沢山集めて人に見せる、いわゆる

「サル山」

についてのニュース映像でした。




進歩とそのための競争を当然のこととする世界観と、この

サル山についての短い(ほんの息抜きのような)ニュースの

内容とが、実は関連しています。


   【 こんな、珍しい症例。】


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体感的におかしい。 [たとえ話]



当然のように進歩していく世の中、世界……というものは

言ってみれば

(体感的におかしい)

わけです。




それは、実際には一種の追いたて、つまり

人の尻を叩いてある方向へと進ませる

ことであるのに、まるで誰もが反対できない真実であるか

のように思い込まされています。




その証拠に、進歩から遅れたものに対して、わたしたちの

中には実にあっけなく簡単に、醜い優越感が生まれてしま

います。




子供が自然に大きくなっているのを見るようなあたたかいも

のではなく

ざまをみろ

とか

いい気味だ

に近い感じ方が出てきてしまう。




それは、自分たちがごく自然に進歩を楽しんでいるのでは

なくて

(やらされている)

という無理の裏返しです。




しかしそれでも、そういう無理に対して、ともかくも見返りが

保証されているならば……そういう未来がゆるぎないように

感じられる間は、わたしたちはこういう大きな流れには逆ら

えません。




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思い込まされている? [たとえ話]

(前回の……3月13日の……記事、ほんのチョコっと文章

をいじりました。意味としてはまったく同じです)




人間の社会の姿が、時代とともに変わっていくのは

(進歩でなければならない)

と、わたしたちは思い込んでいます。




いや、思い込まされている……ような気がします。




人間の社会は、当然のこととしてどんどん進歩していく……

という見方に、もし、ちっとも不自然なものが無いのだったら

わたしたちはおかしな優越感も抱かないはずです。




仮にいま

(進歩から遅れている)

と見える人や地域も、人間の体が子供から大人に育つように

必ず時間をかけて進歩していくのだから

(あーあ。こんなに遅れちゃって……)

みたいな軽蔑など生まれるはずがないでしょう。




これは、わたしたちが小さい子供を見て

なんだこいつ。こんなにちっちゃいぞ……

と軽蔑したりしないのと同じことです。




もしわたしたちが、そういう軽蔑を子供に投げつけるとしたら、

それは意図的に子供を傷つけてやろうとしているときです。




そういうとき、わたしたちは実は、自分の育ちに違和感を抱

いています。大人になった自分、もう子供ではなくなった自

分に自信が持てずに、むしろ

(こんな目に遭わされた……)

というような恨みが潜在しているとき、その恨みをこれから

育っていくものに投げつけてしまいます。



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       【 骨が足りているとき、足りないとき。】



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進歩していない地域。 [たとえ話]

それほど外部との交通がなくて閉鎖的に見える社会と、情

報が世界に開かれていて大変見通しが良いように思われ

る、今のわたしたちの社会があるとします。




わたしたちは、この二つを比べて

やっぱり大きな世界がいいよなあ

と思ったり

(だけど世界に開かれているってことは、結局いつも時流み

たいなものであっちを向かされたりこっちを向かされたりして

いるってことでもあるよなあ)

と思ったりします。




そうしてそれが、過去の社会と現在の社会……という比較

であるだけなら

(昔をなつかしんでも仕方がないし)

で済んでしまうかも知れません。




が、そうした社会の形の違いは今のこの同じ時代にも、地域

によっては存在する、ということを知ったらどうでしょう?




すると、昔のスタイルが残っているように見える社会を、わた

したちは当然のように下に見る気持ちになりませんか?




自分たちは進んでいるけれど、あそこは遅れている

というように。




人間が自分の生まれる地域を選ぶ訳には行かない、という

のは

自分が生まれる時代を選べない

というのと同じ次元の事柄でしょう。




にもかかわらず、なぜかわたしたちはフェアじゃない見方を

します。つまり

(或る地域では、こちらのように社会が情報化されていない)

ということを

(それだってやっぱり自然な結果だ)

とは認めようとしない傾向があります。




(いやいや、その土地その土地で色々な事情があるのだか

ら……)

と、あとから自分に言い聞かせるのは、そういう風に言い聞

かせなくてはならないくらい反射的に

進歩していない地域を下に見る

姿勢が身についてしまっている、ということです。



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大きな世界を知って、幸せですか? [たとえ話]


昔の若衆宿のような所では、その村なり集落が

(第一の世界)

になります。




このことを、近代の教育制度で育てられたわたしたちから

見ると

要するに大きな世界を知らないんだ

とか

(閉鎖的な集団の自己満足じゃないの)

といった風にどうしても見えてしまうかも知れません。




しかし、大きな世界を知らない……というのは、その必然が

なければ、それはそれですごく自然なことでしょう。




人や物、それにともなう情報の交通がごく限られていて

向うには、よその世界もあるんだよ

という程度の認識で済む社会は、そういう環境である限り、

人間が育っていくことに関して、これまで積み重ねられてき

た経験的な知恵を信頼していられます。




ところが、人・物・情報の交通が激しく、それらについてつね

に注意を払っていないといけない……というような社会では

人間が育っていくことについて

人から遅れてはいけない

とか

(出来れば人を出し抜いて先へ行った方がよい)

という、急き立てられるような状況が当たり前になってしまい

ます。




すると、大きな世界を知っていて、閉鎖的ではない(開明的

である)はずのわたしたち近代教育を受けた者が、この

(大きな世界)

に、実は喜び以上に苦しみを感じている……

といったことも起こります。



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世界観が違う。 [たとえ話]


では、近代以降の学校で生まれる

(学校嫌悪)

とか

(教育嫌悪)

を、近代以前の学校的なもの……日本の村々にあったと

思われる若衆宿のようなものの場合と比べてみたいと思

います。




若衆宿でも、そこに集まった若者たちの間で

(いじめた・いじめられた)

といったことはもちろん起こります。




でもそれが、若衆宿の存在それ自体の問題だとは見なさ

れないでしょう。




これは多分、若衆宿が

(人間の意図的なもの)

を反映している度合いが低いからです。




(昔のものだから、素朴だったんだろう)

また

(昔は、ちゃんとした教育の考え方がなかったんだろう)

というのではなく、人間を育てるということの前提になる世

界観が違っています。




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     【 哀しい突貫工事。】


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学校嫌悪。 [たとえ話]



人間がその土地その土地の風土に合せて生きる……もし

もそれとまったく同じ次元で(直に生き方だけを教えている

ような)教育があるのなら、そこでは

「学校に対する嫌悪」

のようなものは、ほとんど生まれてきません。




誰かと一緒に何かを学ぶときに

(こいつはイヤだ)

とか

(あいつにひどいことをされた)

とかいった恨みつらみがうまれるにしても、それはその誰

かに対する嫌悪や怒りであって

(教育が悪い)

だの

(学校が悪い)

といった話にはなりません。




学校嫌悪とか教育に対する恨みとかが出てくるのは、単に

(学校でイヤな目にあったから)

ではなく、学校が持っている

(強制の要素)

教育が人間の生き方を決めていこうとする、その意図性に

反発するからでしょう。




人間同士には、合う・合わないの問題がありますから、ただ

(学校という場所で嫌なことがあった)

というだけなら、学校の存在はほんのキッカケで、それ自体

は問題になりません。




でも、学校が意図的に子供たちを集めて、或る型を強制する

組織になると、生徒同士の間で起こるイヤなことと、学校の

存在そのものとが段々ひとつに重なってきます。




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     【 相談できて、腕がいい。】
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